日記とか趣味の乙女ゲームとか。
実家のTVで見た究極の豚汁の作り方
<材料(五人前)>
だし汁(500cc)
塩(13g)
白みそ(130g)
豚バラ肉 500g
玉ねぎ1.3キロ分
豆腐(2丁)
①先に味を作りやがれ!
だし汁(500cc)を鍋に入れ火にかけ、塩(13g)を入れる。
その中に、白みそ(130g)を入れ、溶かす。
そして豚バラ肉 500gを入れ、
豚バラに火が通るまで約3分ほど煮込みよく溶かす。
②たまねぎで水分を作りやがれ
この時点ではまだ水分が少ない状態だが
ここに、切った玉ねぎ1.3キロ分入れ、
その上に豆腐(2丁)を程よい大きさに切ってのせる
やや強火で20分ほど煮込む。
③最後はひっくり返しやがれ
鍋の底に味が偏っているので、煮込んだ鍋より少し大きなお鍋に
中身を全部ひっくり返して入れる。
そして全体をムラなく混ぜる。
やさしく全体を混ぜることで味が均等になるという。
そして豚汁が完成!
美味しそうだが、ネット上の評判では物足りない人もいるみたい。
同じ作り方で材料を増やすのはアリ?
美味しそうだが、ネット上の評判では物足りない人もいるみたい。
同じ作り方で材料を増やすのはアリ?
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一日目。歩くように言われたけど、とてもベッドから起き上がれなかった。
見舞いにきてくれた旦那様から、若の近況を聞いた。
昨日の夜は手術の間、旦那様が病院にいて、自宅で義父が離乳食を食べさせ、おやつもたくさん食べたらしい。
手術前に私が実家に連絡しておいたので、妹が早退し、迎えには父母が来たと。
若は車に乗ると、降りたそうに手を伸ばしたというのは二日目に見舞いにきた義父からきいた。
私の手術が終わる頃には、実家についた若は妹の腕の中で、おやつも食べてたそうだ。
妹と私は似ているらしいから、安心するのかな。寝起きに両隣にいるとよく見比べるし(笑)
一日目、様子を見に行った旦那様にはべったりで帰る時に泣かれたと言っていた。
あ、食事はよく食べ、飲まなかったミルクも積極的に飲んでいるらしい。しばらくママに会えないことをなんとなくわかっているのかもしれない。
夕飯が出たけど、私は起き上がるのも辛くて、結局ベッドを上げてもらった。でも、長くはもたないから、さっさと食べてもどしてもらった。21日の朝以降食べてなかったから、なんか美味しかった。おかゆだけど。
二日目。歩く練習をしましょうと、朝から点滴の管とかまとめてくれたけど、まず起き上がるのが辛い。午前中は結局部屋から出られなかった。
部屋が移動になり、午後には点滴とか繋がってた管が全部外されて身軽になった。少しずつ部屋から出られるようになったが、トイレまでが遠い道のりだった。
夕飯のあと、旦那様に手伝ってもらって、車椅子で向かった。
でも、旦那様が帰った後、しばらくして痛み止めが効いてきたおかげか、かなりの距離を歩けるようになった。
電話できるかも!と、電話スペースまで向かって言って、入院して初めて実家に電話をした。
若が食事中ということでなんかバタバタしてたので、後でかけなおすことにした。
若はちょうどきていた三番目の兄夫婦と甥っ子で風呂にいれるのと夕飯を手伝ってくれていたらしい。兄は若を風呂にいれて、ぎゃんぎゃん泣かれたとか。
離乳食もいっぱい食べて、ミルクも150ml飲んだらしい。
退院したら、一週間ぐらい実家に帰ってきたらと母から誘われた。そのつもりだったのだが、先に言われて驚いた。
実家に電話したことを旦那様にそのまま電話で報告したら、痛み止めが効いているだけだから、無理しないようにと言われた。
電話を終えて病室に帰るとき、なんかすごいいたかった。
調子に乗りすぎたらしい。
でも、一日よく動いたので10時から朝6時までぐっすり眠れた。
見舞いにきてくれた旦那様から、若の近況を聞いた。
昨日の夜は手術の間、旦那様が病院にいて、自宅で義父が離乳食を食べさせ、おやつもたくさん食べたらしい。
手術前に私が実家に連絡しておいたので、妹が早退し、迎えには父母が来たと。
若は車に乗ると、降りたそうに手を伸ばしたというのは二日目に見舞いにきた義父からきいた。
私の手術が終わる頃には、実家についた若は妹の腕の中で、おやつも食べてたそうだ。
妹と私は似ているらしいから、安心するのかな。寝起きに両隣にいるとよく見比べるし(笑)
一日目、様子を見に行った旦那様にはべったりで帰る時に泣かれたと言っていた。
あ、食事はよく食べ、飲まなかったミルクも積極的に飲んでいるらしい。しばらくママに会えないことをなんとなくわかっているのかもしれない。
夕飯が出たけど、私は起き上がるのも辛くて、結局ベッドを上げてもらった。でも、長くはもたないから、さっさと食べてもどしてもらった。21日の朝以降食べてなかったから、なんか美味しかった。おかゆだけど。
二日目。歩く練習をしましょうと、朝から点滴の管とかまとめてくれたけど、まず起き上がるのが辛い。午前中は結局部屋から出られなかった。
部屋が移動になり、午後には点滴とか繋がってた管が全部外されて身軽になった。少しずつ部屋から出られるようになったが、トイレまでが遠い道のりだった。
夕飯のあと、旦那様に手伝ってもらって、車椅子で向かった。
でも、旦那様が帰った後、しばらくして痛み止めが効いてきたおかげか、かなりの距離を歩けるようになった。
電話できるかも!と、電話スペースまで向かって言って、入院して初めて実家に電話をした。
若が食事中ということでなんかバタバタしてたので、後でかけなおすことにした。
若はちょうどきていた三番目の兄夫婦と甥っ子で風呂にいれるのと夕飯を手伝ってくれていたらしい。兄は若を風呂にいれて、ぎゃんぎゃん泣かれたとか。
離乳食もいっぱい食べて、ミルクも150ml飲んだらしい。
退院したら、一週間ぐらい実家に帰ってきたらと母から誘われた。そのつもりだったのだが、先に言われて驚いた。
実家に電話したことを旦那様にそのまま電話で報告したら、痛み止めが効いているだけだから、無理しないようにと言われた。
電話を終えて病室に帰るとき、なんかすごいいたかった。
調子に乗りすぎたらしい。
でも、一日よく動いたので10時から朝6時までぐっすり眠れた。
子宮外妊娠かもしれないということで、近場の大きな病院に行ったのが10月21日のこと。
その日の夜には病院のベッドの上でした。
そもそもの発端が9月21日から続いていた不正出血で、早めに病院で検査すればもう少し猶予があったのかもしれません。
でも、旦那様には言えなかったけど、純粋に怖かった。今妊娠しても、若はまだ一歳になってひと月。二人目の余裕は色々な意味でない。でも、出来たら、産みたいし、育てたい。
不安で不安で、しょうがなかった。でも、そんな泣き言言えなかった。言ったところで不安はなくならないし、結局のところ、診察を受けてみなければ何もわからないのだから。
10月18日。ようやく決心を固めて、近所の産婦人科を受診。結果は妊娠。でも、5周に入っているはずなのに、子宮の中は空っぽで、子宮外妊娠かもしれないと言われて、頭の中が真っ白になった。この日は血液検査の結果待ちということで、帰宅した。
自分で調べたけど、子宮外妊娠は生むことは出来ないから、取り除くしかないらしい。
旦那様は子宮外妊娠は妊娠じゃないから、と言ったけど、私にはとてもそうは考えられなかった。命が生まれようとしているのに、何も手がない苛立ちと哀しみが消えない。
10月20日の夜。一人で風呂に入ってる時にふと、この子が産まれたら、きっと女の子だなと思った。若が産まれる前にもあった予感みたいなものだけど、なんとなく当ってる気がする。
10月21日、子宮外妊娠はほぼ間違いないということで、大きな病院で検査することになった。
一度帰宅し、若に離乳食と母乳を上げて、寝かしつけてから一人でむかった。まさか、このまま一週間もあえなくなるとは思わなかった。
病院では内診して、血液検査、尿検査、MR、内診と検査して、結果的に緊急手術することになった。
MRは初めてやる検査だったから、面白かったし、いい経験になった。手術もTVでしかみたことのない手術室やなんかで、ワクワクした。でも、頭の隅で、これでこの子とはお別れなんだと思うとかなしかった。だから、せめてと祈ってた。
今度はちゃんと私の所に産まれてくるんだよ。って。
産んであげられなくて、ごめんねって。
手術は順調に終わった。縫合前にお腹の中を綺麗にしている最中は、すごく気持ち悪かった。最後の縫合の辺りは疲れて眠ってしまって、よく覚えていない。
でも、まだ泣けない。旦那様には泣いているのを見せたくなかった。命はまだ宿ってないんだと言い切った旦那様の前では、泣きたくなかった。私にとっては、大切な命だった。
夜一人で、あの子とお別れをした。
悲しむのはこれが最後だと、明日になったら、元気になって、若に会うために頑張ろうと。
その日の夜には病院のベッドの上でした。
そもそもの発端が9月21日から続いていた不正出血で、早めに病院で検査すればもう少し猶予があったのかもしれません。
でも、旦那様には言えなかったけど、純粋に怖かった。今妊娠しても、若はまだ一歳になってひと月。二人目の余裕は色々な意味でない。でも、出来たら、産みたいし、育てたい。
不安で不安で、しょうがなかった。でも、そんな泣き言言えなかった。言ったところで不安はなくならないし、結局のところ、診察を受けてみなければ何もわからないのだから。
10月18日。ようやく決心を固めて、近所の産婦人科を受診。結果は妊娠。でも、5周に入っているはずなのに、子宮の中は空っぽで、子宮外妊娠かもしれないと言われて、頭の中が真っ白になった。この日は血液検査の結果待ちということで、帰宅した。
自分で調べたけど、子宮外妊娠は生むことは出来ないから、取り除くしかないらしい。
旦那様は子宮外妊娠は妊娠じゃないから、と言ったけど、私にはとてもそうは考えられなかった。命が生まれようとしているのに、何も手がない苛立ちと哀しみが消えない。
10月20日の夜。一人で風呂に入ってる時にふと、この子が産まれたら、きっと女の子だなと思った。若が産まれる前にもあった予感みたいなものだけど、なんとなく当ってる気がする。
10月21日、子宮外妊娠はほぼ間違いないということで、大きな病院で検査することになった。
一度帰宅し、若に離乳食と母乳を上げて、寝かしつけてから一人でむかった。まさか、このまま一週間もあえなくなるとは思わなかった。
病院では内診して、血液検査、尿検査、MR、内診と検査して、結果的に緊急手術することになった。
MRは初めてやる検査だったから、面白かったし、いい経験になった。手術もTVでしかみたことのない手術室やなんかで、ワクワクした。でも、頭の隅で、これでこの子とはお別れなんだと思うとかなしかった。だから、せめてと祈ってた。
今度はちゃんと私の所に産まれてくるんだよ。って。
産んであげられなくて、ごめんねって。
手術は順調に終わった。縫合前にお腹の中を綺麗にしている最中は、すごく気持ち悪かった。最後の縫合の辺りは疲れて眠ってしまって、よく覚えていない。
でも、まだ泣けない。旦那様には泣いているのを見せたくなかった。命はまだ宿ってないんだと言い切った旦那様の前では、泣きたくなかった。私にとっては、大切な命だった。
夜一人で、あの子とお別れをした。
悲しむのはこれが最後だと、明日になったら、元気になって、若に会うために頑張ろうと。
先週10月11日あたりから、スプーンに一口分を乗せて渡すと自分で口に運ぶようになりました。
なんか戸惑い一切無く食べたから、渡したほうがびっくり。
手づかみ食べのほうが先にやるもんだと思っていただけに。
で、ある程度食べた後に手づかみするから、ああ手づかみ食べもするのかな?と思ったら、
もう満面の笑顔でさし出してきました。食べろとな!?
なんだろうこのこ。
スプーン→自分
手づかみ→自分以外
な、感じなんですかね。ていうか、真似してるんですかね?手で差し出したことはないんですが。
なんか戸惑い一切無く食べたから、渡したほうがびっくり。
手づかみ食べのほうが先にやるもんだと思っていただけに。
で、ある程度食べた後に手づかみするから、ああ手づかみ食べもするのかな?と思ったら、
もう満面の笑顔でさし出してきました。食べろとな!?
なんだろうこのこ。
スプーン→自分
手づかみ→自分以外
な、感じなんですかね。ていうか、真似してるんですかね?手で差し出したことはないんですが。